"Did I forget someone important?"

突然、悲しみの隕石に打たれることがある。そうなると、道の真ん中でも歩みを止めて、そのまま立ちすくんでしまう。周りは薄暗くぼやけて、わたしの存在だけがはっきりと浮かび上がるのを俯瞰的に確認する。そして無性に泣きたくなるのだ。こういうことはわりと幼い頃からあって、あぁいつものやつだ、と思うけど、毎回ちゃんと苦しい。最近で一番衝撃が大きかったのは、昨年の10月に赴いた南のとある離島で、仲睦まじい親子を見た直後だった。彼等から生命の営みのような荘厳なものを感じて、わたしはわたしの抱える孤独感、劣等感、等々に苛まれ、挙句、悲しみの隕石に打たれたのだった。せっかくのバカンスだったけれど、その後は民宿の個室に閉じ籠り、ひたすら時が過ぎるのを待っていた。思い返してみれば、その時読んでいた『グロテスク』が若干精神に作用したのは否めない。けれど、何がトリガーになるのか分からないこの急激な気分の転換を予測することは天文学的であり、悲しみの隕石、と喩えることはなかなか腑に落ちるところがあるのだった。

 

2022年12月31日

仕事を辞めた。自分は健常者にはなれないと思い、人生において多少の諦めがつく。

 

2023年1月17日

10年ほど憧れていた人と直接会う約束を取り付けてから、緊張してお腹を壊す。誤魔化すように、積み上げていた本を読み始める。小説よりエッセイの気分だったので、『ここは、おしまいの地』、続けて『ぼくをくるむ人生から、にげないでみた1年の記録』を読む。小休止に、『中原中也詩集』(今月頭に中原中也記念館に赴き、そこで記念として買った)と『春と修羅』(序の感動が凄まじく、その余韻が続くせいでなかなか本編が進まない)を挟む。ここ数週間、何か情報をインプットする気が起きなくて参っていたけれど、ゆるやかにその活力が戻ってきている気がしていてうれしい。やさしいオレンジ色の明かりが灯るライトを買ったので、それをベッド脇に置いて、今夜は『仮面の告白』を読む。

 

1月20日

10年ほど憧れていた人と対面を果たす。ずっとインターネットを経由して見ていた人だから、その実存に慄く。ビールを飲んで、平常心を取り戻す。10年前は当然ながらビールなんて飲めなかった。制服を着ていた。ガラケーを使っていた。画質の悪い自撮りを撮っていた。友達なんていなかった。死んでしまいたかった。その人を通して、10年という年月を感じ、なんだか奇妙な夢を見ているような感覚だった。

 

 

 

※以下、メモ

・京都から大阪へ向かう新幹線、ペイの話

・"right person wrong time"